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高校演劇の創り手たちスペシャル 震災高校演劇の8年

一般社団法人日本劇作家協会会報「ト書き」62号に連載中の「高校演劇の創り手たち」に、「震災高校演劇の8年」を掲載しました。2011年から2019年夏までを、工藤千夏が俯瞰したこの文章は、震災高校演劇アーカイブを作る背景でもあります。


高校演劇の創り手たちスペシャル

震災高校演劇の八年

                       工藤千夏(高校演劇担当委員)

 

「人は、見たものを、覚えていることが、できると思う。人は、見たものを、忘れることが、できると思う」(『ブルーシート』作/飴屋法水より引用)


 現在の高校生は東北大震災当時まだ小学生でした。幼かった彼らは、「見たもの」も「記憶」も、当時の高校生とは違います。でも、やはり、あの日から続いている「今」があります。


●二〇一一年の春フェスと全国大会

 二〇一一年、東日本大震災の一週間後、第五回春季全国高等学校演劇研究大会(北海道伊達市)は参加予定十校のうち四校が辞退、二日間に短縮して実施された。奇しくも、その年の全国大会予定地は福島県文化センター大ホール(天井の四割以上が落下、舞台機構も崩壊)。会場を香川県丸亀市の綾歌総合文化会館アイレックスに変更し、二〇一一年八月五日〜七日、第35回全国高等学校総合文化祭演劇部門大会(福島大会東日本大震災復興支援香川大会)が開催された。わずか四カ月で、十二校全作品の上演を達成した顧問たちの熱意と実行力に圧倒される。


そこに、福島県立いわき総合高校がいた!

『Final Fantasy for XI.III.MMXI』福島県立いわき総合高校演劇部 原案 福島県立いわき総合高校演劇部 構成・脚本 いしいみちこ[2011年初演]

 大震災・原発事故の影響による文化祭の中止を阻止するため、四人の高校生が、現在立ち入り禁止となっている北校舎に「復活の呪文」を探しに行く……。

『F.F』は、当時の顧問・いしいみちこ教諭と演劇部員たちが福島第一原発事故と自分たちをゲーム感覚で描いた。創造的復興教育フォーラムの事例発表として文部科学省講堂で上演された他、震災直後の福島から高校生が発信する演劇の代表として、神戸、東京、兵庫など二〇一二年八月までの間に十ステージ上演された。

 いしい教諭といわき総合高校演劇部は、エチュードの短いシーンを発展させていく集団創作(ディバイジング・メソッド)で作品を創る。以降、より小さな日常に焦点化して『北校舎、はっぴーせっと』『あひる月13』を発表。メソッドは斎藤夏菜子教諭に受け継がれ、いわき総合高校演劇部『ちいさなセカイ』(二〇一五年)『ありのまままーち』(二〇一七年)や、さらに斎藤教諭が転勤した福島県立ふたば未来学園高校演劇部『Indrah〜カズコになろうよ〜』(二〇一九年七月全国大会出場予定)が生まれ、その後の福島の日常を、繊細に、かつ、力強く表現し続けている。


震災に向き合い続ける被災地応援ツアー

「もしイタ ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」青森中央高校演劇部 作・演出/畑澤聖悟[2011年初演]

 東日本大震災によってチームメイトや家族を失い、青森に転校してきた男子高校生が弱小野球部と出会い……。

 舞台装置、照明、音響、小道具を使用せず、演者が効果のすべてを表現するのが『もしイタ』の特徴。「同じ東北でも被災地ではない、だから、被災地の人々を演劇で元気づけたい」という部員の気持ちから生まれたこの作品は、避難所として使用された体育館や集会場での上演しやすさが前提。バスで着いたら真っ先に会場を掃除し、客席用のパイプ椅子も自分たちで並べる。ゲネも場当たりもやらない。ホール上演の際は地明かりをつけるが、効果音やBGMはすべて肉声のまま。衣裳もTシャツと学校指定のジャージ。とにかくシンプル。全国大会(第58回全国高等学校演劇大会・2012年富山)で最優秀賞を受賞した際、審査員の西堂行人氏をして「二〇一一年にこういう作品が生み出されたことは、事件」と言わしめた。

 被災当事者ではない立場から、震災とどう向き合い続けるのか。青森中央高校演劇部は『もしイタ』被災地応援ツアーを今も続けている。(二〇一一年九月から二〇一九年二月現在まで、全国の二十二都府県五十一市町。フェスィティバル/トーキョー14招聘、韓国ソウルのフェスティバル・ボム招聘を含め九十八ステージ上演)


●いわゆる高校演劇ではない、震災高校演劇

『ブルーシート』飴屋法水[2013年初演] 

二〇一四年の第58回岸田國士戯曲賞受賞作である『ブルーシート』は、飴屋法水氏が福島県立いわき総合高校総合学科第10期生アトリエ公演のため書き下ろした戯曲である。私は、フェスティバル/トーキョー15(会場は豊島区旧第十中学校・東京)で観劇した。いわき総合高校グラウンドでの二〇一三年の初演から、二年。冒頭に初演時の冒頭の映像が提示され、映像の中から話しかける校長が癌のためにすでに他界されているという事実も、劇中わかる。卒業後を自ら語るシーンもあり、あの日からの時間の流れを強烈に感じさせる。「震災後」の「今」を描き続けることの辛さも。

 次に出会ったのは、二〇一七年の第50回東北地区高等学校演劇発表会、岩手県立大船渡高校演劇部が潤色したバージョン。岸田戯曲賞の選評(岡田利規氏)同様、他者が、しかも舞台で上演することに不安を持ちながら観始めたのだが、全くの杞憂であった。どんな演出でも伝わるこの戯曲の強度とことばの強さを、まざまざと見せつけられた。



戯曲は残る

 高校演劇の世界では構成メンバーは約二年で入れ替わる。公立高校の顧問は、自分の意思とは関係なく、やがてその場を離れることが前提である。今回、紹介している顧問劇作家も、転勤や退任などで同じ学校の演劇部の顧問を続けているケースの方が珍しい。福島県立相馬農業高等学校飯舘校演劇部にいたっては、学校自体がなくなった。だからこそ、残るのは戯曲である。前述以外にも上演し続けて欲しい良作が多くある。そのごく一部を紹介。


福島県立あさか開成高校『この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?』作/佐藤茂紀&あさか開成演劇部[2011年初演]

岩手県立福岡高校演劇部『福高創立110周年記念作品 田頭諒という男』作/岡部敦[初演2011年]

千葉県立八千代高校演劇部『日の丸水産(HINOMARU FISHERY)~ヒミコ、日野家を語る~』作/タカハシナオコ作[初演2011年]

宮城県立名取北高校演劇部『好きにならずにはいられない』作:安保健+名取北高校演劇部[初演2012年]、『ストレンジスノウ』作:安保健+名取北高校演劇部[2016年初演]

福島県立大沼高校演劇部『シュレーディンガーの猫〜Our Last Question〜』作/佐藤雅通[2012年初演]『よろずやマリー』作/佐藤雅通[2016年初演]

福島県立相馬農業高校飯舘校演劇部『ファントム オブ サテライト〜飯舘校の怪人〜』作/矢野青史[2015年初演]、『―サテライト仮想劇―いつか、その日に、』作/矢野青史[2016年初演]

岩手県立久慈高校演劇部『海猫トロッコ』作/ 松田隆[2017年初演]

仙台市立仙台高校演劇部『stranger』作/杉内浩幸[2018年初演]


●風化とあの日の意味

 直後は、震災をテーマにしている作品をそれ以外の作品と比較して語ること自体が非難されるような、震災ヒステリーとも言える空気があった。やがて、「震災ものだから評価しなければいけないというのはおかしい。高校演劇はもっと明るくて楽しいものだ」という意見がコンクール審査において発言される。また、現役高校生が二〇一一年に小学生だった時代に突入すると、震災や震災後を描くこと自体が顧問の押し付けなのではないかという意見も取りざたされる。世間の「風化」と相まって、震災を扱う作品の数は減っていく。そして、「あの日」イコール「三月十一日」だけではない時代が始まる。

今年の1月、第54回関東高等学校演劇研究大会でこれまで観たことのないアプローチの「高校震災演劇」に出会った。日本大学鶴ヶ丘高校演劇部『屋上の話』(作:むらやまだいすけ)。東京都の代表校が前人未到の「高校震災演劇」を引っさげて、この夏、佐賀で開催される全国大会に出場する。


 


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